24/04/16
●アイドル部門の立花理佐さんが昨年、2020年に直腸がんと診断されていたことを公表しました。
立花理佐、2020年に直腸がんと診断されていた「腸、子宮、卵巣、膣の摘出手術を受けました」 - サンスポ
https://www.sanspo.com/article/20231124-U2D57UIFIZEVTA6RXQBDXOYXPM/
また、がんの寛解後はうつ症状にも苦しんだそうです。
《直腸がんステージVBから生還》立花理佐、ブログで公表してから起こったこと「思い出すだけで泣きそう」 (1/2)| 8760 by postseven
https://8760.news-postseven.com/109749
11/04/25
●アイドル部門 立花理佐情報
4/24放送のTBS「クイズ・タレント名鑑」に出演されていました。
ちなみに番組の内容は、「一般人の中に紛れ込んでいるギリギリ有名人を捜せ」というものでした。
検索してみたところ、今年3月からAmebaでブログを始められていました。
10/11/29
●元アイドルの立花理佐さんは現在どのような活動をされているのでしょうか?
数年前つんくさんのプロデュースでシングルを出し、その後の情報もここのサイトにありますが、2006年以降の情報がありましたらお願いします。
06/05/14
●今月発売している『赤すぐ』という赤ちゃん雑誌にダイエットに成功しましたという内容で登場しています。
2004年10月に男の子を出産、その後体重が増えてしまい、ダイエットを決意したことを話しています。
昔と変わらない若々しいお母さんですよ。
06/01/12
●前の情報をちゃんと見ていただくとわかると思いますが、結婚・妊娠を2004年にしているところから、現在は育児中心の生活をしているのではないでしょうか。
05/10/24
●既に、ご存知の方も、おられると思いますが・・・。
『立花理佐』さんが、所属されていると思われる事務所のHPが、ありましたので・・・。
株式会社プラウドマン :
http://www.proudman.co.jp/
上記HPにて、【PRODUCTION】のところに、お名前が載っています・・・。
最新情報は、載っていませんが、これまでの経歴は、載っています・・・。
それでは、失礼します・・・。
05/03/15
●昔アイドルだった立花理沙さんって引退したんですか?
04/06/11
●立花理佐(32)が現在(2004年6月)、妊娠6カ月であることが分かったそうです。平成12年にそば店を経営する松永信之さん(32)と入籍。予定日は10月下旬で出産後も仕事は続けるとのこと。
また、このサイトに掲載されている2001年以降の活動ですが、2002年に清水健太郎の事務所「ファースト・インプレッション」に所属。以降、ヤクザ物のVシネ数本に出演しています。
2004年4月に清水が事務所の代表取締役でもあった22歳年下の夫人と離婚、5月末に覚醒剤で4度目の逮捕となったことから事務所は実質休業状態のようです。育児が一段落したら、まずは事務所探しかな・・・。
02/08/01
●けっこう話題になったのでご存知の方もいると思いますが、「つんくちゃん。レーベル
第3弾!再デビューオーディション」に合格し、つんくプロデュースで「ゴメンね
勝手に決めちゃって」という曲で2001年に歌手として再デビューしました。
99/08/08
●’99年4月26日深夜、テレビ朝日放送のココリコの番組(黄金伝説?A級伝説?)でココリコ田中の誕生日を記念して昭和46年生まれのタレントを集めて「46会」を結成しようと結成集会に立花理佐と仁藤優子とL.L.BROTHERS
の兄のほうが出席していました。 人生で一番輝いていたと思う瞬間を尋ねられ、立花理佐は86年新人賞総なめ、仁藤優子は立花と同期で新人賞を奪われたという昔話を披露し、L.L.兄はダンス甲子園と答えていました。過去の栄光・・・
(98/10月以前)
●10年昔は「立花理佐の妖精伝説」を歌っていた彼女ですが、今はCanCam等の雑誌巻末のダイエ
ット商品広告に載っています。「私もこれでやせました」というわりには大変ふくよかでした。
●女性誌の後ろの方にくっついている広告に1つに登場していますよ。なんかのダイエット食品か機具の宣伝みたい。
●少し古い情報で申し訳ないのですが、一昨年の5月にオーストラリアのシドニー空港で目撃しました。
何故か松方弘樹さんと一緒だったので、「おや?」と思いましたが、マネージャーらしき人と一緒だったので、おそらくいつもの釣り特番の撮影だったのでしょう。
せっかくなので、二人にサインをお願いしたところ快く応じて下さいました。
その時、立花さんは「えっ?わ たしにも?」と言って、まるで自分が芸能人だとは誰も思っていないだろうという反応をされていました。