野中小百合

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08/09/22
●野中小百合は、1975年に「恋の誕生日」でデビューした後、いわゆる「アイドル路線」で活躍しましたが、それほど売れることなく、78年に5枚目のシングルである「娘たちの祭り」を出して活動を停止しました。
 その後、芸名を「糸川蛍子」に変えて、80年に「ほたる音頭」で再デビューしましたが、「演歌路線」でも3枚のシングルを出した後、いつのまにか活動を停止しました。(ラストシングルは81年3月の「おとこの旅路」)。
 なお、再デビューと同じ時期の80年9月から1年間、TBSラジオ系の深夜放送である「歌う ヘッドライト」のパーソナリティを勤めています。その間に、同番組のテーマ曲である「夜明けの仲間たち」(未シングル化)も歌っていて、パーソナリティを卒業した後も、91年頃に麻生詩織が再録音(こちらはシングル化された)するまでの約10年間、同番組で流され続けていました。
 ちなみに、以前の報告にあった「野中蛍子」という芸名については、こちらでは確認できませんでした。
過渡的に、そのような名乗りを行っていた可能性はありますが、少なくともシングル盤は「野中小百合」か「糸川蛍子」のいずれかの名義のみになっています。

99/08/09
●「恋の誕生日」「ふたりの竹とんぼ」をうたってた北九州出身の アイドルのその後を教えて。

(98/10月以前)
●地元では人気がありました。北九州出身。デビュー曲は「恋の誕生日」

●野中小百合は、「笑って笑って60分」などの番組内の哀愁学園に、黒沢浩など と共演し、「二人の竹トンボ」など歌ってましたが、あまり売れず、その後、野中 蛍子(けいこ)と改名し、演歌を歌いました。しかし、それも売れませんでした。 もう引退したのでしょう・・・。

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